おれの名は月影丸。
東京という少し狂った町に住む、少し狂った男だ。
その夜もおれは真夜中近くに地下鉄を降りて、自分の町に解き放たれた。
いつものことだが、おれの腹の減り具合といったら嵐のごとしだった。
しかし駅からうちまでの間にあるのはラーメン屋がひとつにステーキ屋がひとつ。
どちらにしようか数秒迷ったが、ラーメン屋に行けばチャーハンなども選択可能だと
いうことに気づいたおれは、足ばやに本郷通りを横切り、見なれたラーメン屋のドアマットを
踏んだ。
「ハイいらっしゃい!」
店員の女性は日本人ではなかったが、彼女の発するイントネーションは下町の食堂のおばさんのそれと
何ら変わるところはない。たいしたもんだ。
すいた店内の奥まったところにある席につくと、おれはラーメンを一つと、チャーハンではなく半チャーハンをひとつ、頼んだ。
すぐに、店内にもう一人の客が入ってきた。大きな買い物袋を持ったおばさんだ。おれは最初気にもとめていなかったが、そのおばさんが買い物袋の口をガバッと開けたとたん、その方をきっとにらんだ。
その袋の中身はよく見えなかったが、そこからにおってくる異臭は、この世のものとも思えぬ刺激臭だったのだ。
クサヤでも持ってきたのか!
野獣の嗅覚を持つおれには、つらいひとときだった。だがおれはそういうことに関して苦情をいうタイプの人間ではなく、また、嗅覚というものはすぐにマヒしてしまうものだという考えもあったので、その場はそのまま自分のカバンから書類を取り出し、それに目を通していることにした。
買い物袋のおばさんは注文した。
「ラーメンをひとつと、おみやげ用にチャーハンを2人前!」
おれは再びおばさんをにらんだ。チャーハンを2人前だと!?
恐怖がおれを襲った。
おれが何のためにわざわざ半チャーハンを頼んだのか店の人が理解してくれる可能性は低い。カウンターの中の調理場をおそるおそる見ていると、案の定、調理人はチャーハンをおれの分と合わせて3人分いっしょに作り始めた。
おれは肩を落とした。
今日はよく火の通ったパリッとしたチャーハンが食べたかったのだ。二人分以上を同時に作ると、中華料理屋っぽいチャーハンになってしまう。だが「おれの分だけ別に作れ」なんていうことが今さら許されるはずもない。
最近のおれは年をとって性格がねじれてきてるのだろうか。
何の罪もない、ただくさい袋を持っただけのおばさんに、なにゆえここまで憎しみを感じるのだろう。ストレスがたまっているのかも知れない。そして、いつもおれのじゃまをするのは、おれが普段敬意を持っているはずの「女性」という種族だ。
この先何が起こるのだろう。
とにかく、おれの名は月影丸。
騒がしい人ごみの中をただひとり無言で走る、小さなトカゲだ。
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