共犯 |
姉妻蕩治 |
-上- |
6月の雨はじっとりにじんだ大気となじみあい、うなじや腕の湿りは、雨なのか汗なのか湿気なのか、それさえもどうでも良くなる。 「もう、連絡なんてない、って思ってた」 自分の記憶の穴埋めのために聞き耳をたてるマスターを横目に、彼女がささやいた。まだ時間が早いのか他には、やたらに体格の良いサラリーマンが縦に折筋のある新聞を折目どおりにめくりながら、カウンターに片肘をついて、ビールを飲んでいるだけだった。 「おれだって、連絡するつもりはなかった」 沈黙の中で、まるでそれが占いの水晶であるように両手で挟んだグラスの、透明な氷を彼女は見つめ続けている。 「家事手伝いみたいなもんだよ」 そう。もう、7年が過ぎた。 斜めにあごをひくように幾度かうなずきながら、私を見つめ、カウンターに置かれたロックグラスを手に取り、一口含む。 一瞬にして、息をおし殺すだけの三つの肉袋が出来上がり、カウンターの隣には舌打ちと意味不明のひとり言をくり返し、サラリーマンから酔っ払いへと変異しつつある生物がいる。 |
|
|
ゆっくりと、再び振り向いた彼女の表情で、私がみっともないほど驚いた表情をしているのを知った。こらえきれず、はじけるように笑い出すと彼女は、一瞬スツールから落ちそうになりながら、私を指さし笑い続ける。
「なんて顔してんのよ、だって計算、合わないでしょう」 私は苦笑いで飲みほし、グラスを置く。彼女につきあったウイスキーだった。私が目で探していると彼女は勝手にカウンターに入り、シンクの下あたりをごとごと音を発てながら、これ?、と一升瓶をかつぎ上げた。 「すごいホコリだなそれ、酢になってそうだな」 「でも、さっきの言葉、ちょっとは信じられるかな」 後ろをサラリーマンが通りすぎ、ドアを開け、出ていった。 「ツケだろ」 もう随分前から、レコードの最後の溝を、針が幾重にも擦り続ける音が響いている。 「つくづく」 手に取った携帯をよく見ると彼女の携帯の番号だろうか、見おぼえのない数字が登録されている。 「あの子はね」 「気持ち悪いくらい、あなたに似てたの」 「それに無理矢理、あの子の養育権をとられたんじゃないし。私から向こうの両親にお願いしたの。あそこはお金持ちだしきちんと面倒を見てくれてるから安心よ」 いつの間に戻ってきたのか、ふいにマスターが私たちの前に現れた。それで私は口に出して聞く事をあきらめた。マスターの中指にはファミリーマートのビニール袋がぶら下がっている。 永遠にまわり続けるレコード。飲み逃げした客の残したグラスと新聞。彼女のグラス。 |
「シンイチの葬式が終わって、引っ越しの整理してたら。シャンデリアの上にちょこんって」 「乗ってたのか」 「そう。カメラに入れる電池みたいのからひょろって、線が出てて」 「発信用のアンテナだろ」 「そう。なんか黒豆の豆モヤシみたいなの。ちょうど弟が手伝いに来てたから見せたら、盗聴器だって」 「どう考えてもシンイチは盗聴、しないだろ」 「そう。でもなんかスッキリしないから、受信機があるんじゃないかって家中、探し回って」 「まさか、家にはないだろ」 「そう、なかったのよ。で、専門の会社の人に見せたら、もう電池が切れてて使いものになるようなものじゃなくて、で、マンションの外から受信しようとしてももともと弱い電波しかとばせない構造のものだから心配はないだろうって」 「買ったんだよな、あのマンション」 「そ、バブルの名残のまだ高いときに。新築で」 「じゃあ、不動産屋か内装屋か電器屋、ってことか犯人は」 「でも、あのシャンデリアに替えたのは、シンイチ」 「じゃあ、シンイチだろ」 「あのねぇ」 わざととぼけて首を傾げてみせると彼女も結局誰に何を聞けばよいのか、わからない素振りでマスターを振り返った。マスターはレコードをとめにカウンターを出たところだった。 シンイチの名を彼女の口から聞くのは、久しぶりだった。いや、葬儀か出棺の際、彼女が挨拶をした時に聞いたような気がする。ただ、その名は死体の整理番号のようにしか、私には響かなかった。 最後に人としてのシンイチの名を彼女が出したのは、7年前、この店で、だった。そしてシンイチと結婚すると聞いたのも、その時だった。 「死因は何だったんだ」 息を呑み込みながら小さく、え とつぶやいた。 「知らなかったの?」 「知らない。ただシンイチが死んだ、としか電話では聞いてないから」 「誰から」 「シンイチのおふくろさんから」 「・・・そう」 「別にどうでもいいけど。なんでアイツ、死んだんだ」 「シンイチ、殺されたの。両手両足を縛られたまま、」 彼女は言葉を切り、口調とは裏腹の強いまなざしで私を見た。 ようやく音楽がかかり、マスターがカウンターに戻ってきた。そしてすぐ裏のキッチンに消えた。 しかし、それは私が書き上げ慣れ親しんでいたストーリーとはまるで違うものだった。 マスターが戻ってきたところで言葉を切り私に振り向いた。 「いいストーリーだと思うし、推理、というか真実の解明部分なんかは、説得力というか真実味があって、ドキドキするね。何かどっかで聞いたような話だけれど」 (つづく) |
|
共犯 -中-へ |
ご意見・ご感想 |
あたまへ |