間もなく夕方の四時だったが秋の空はまだ充分明るい。 おぼろとタロは小石の敷きつめられた山道を歩きながら、足音と話し声とでまわりの森林の静寂をやぶっていた。 「さっきは本当にあせったよ。ジャマ吉を運んでるところを見た人がいたとはね。」 タロはにやけながら言った。それに対しておぼろは無表情のまま答えた。 「いろんな人に見られてた。深澤さんも今朝僕らを見かけたはずだ。」 タロはおぼろの顔をのぞき込んだ。 「深澤さんって、級長の深澤明代かい?どこで明代に見られたの?」 おぼろはタロの方を向かずに説明した。 「深澤さんは学校が始まる前に花壇に水をやってるから、毎朝ちょうどあの時間に僕らがジャマ吉を運んだ道を通る。」 タロはおぼろが何でそんなことを知っているのか気になったが、タロのそんな考えを見抜いたかのようにおぼろは続けた。 「いつも朝、山の帰りに、早い時間に学校へ行く深澤さんを見かけるからわかる。今朝も時間的に、僕らの後ろを歩いてたはずだ。」 タロは笑った。 「山の帰りって、おぼろはいつも朝っぱらから山で何をやってるんだい?」 おぼろはぼそりとつぶやいた。 「いろいろ。走りまわったり。」 またカラスが鳴いた。 やがてふたりは今朝見つけた場所にたどり着いた。ジャマ吉が殺されたと推定される、山の中腹の山道だ。 路上のおぞましい血痕も、道路わきの草むらのハイヒールもそのままであった。 ふもとからここまでの山道はどこも曲がりくねっていたが、この地点では少しまっすぐな道となっていた。 「暗くなる前に調べる。他にも何か見つかるかも知れない。」 おぼろはジャマ吉を殺した犯人の手がかりを探し始めた。タロも山道のいたるところを丹念に調べ始めた。 しかし何も見つからぬまま時間は過ぎ、辺りはすっかり暗くなってしまった。もう手もとがよく見えない状態だったが、おぼろは手がかりを探すのをやめる気配はなかった。 「もう帰ろうよ。」 疲れてしまったタロがおぼろに声をかけた。おぼろはポケットから何か取り出してタロに手わたした。しかし暗くて何だかわからない。タロが顔に近づけてそれをよく見てみると小さな懐中電灯だった。 「暗くなるまでつきあわせてごめん。悪いけどそれを持ってひとりで帰って。」 おぼろにそう言われてタロはあきれた。 「いっしょに帰ろうよ。こんな暗いんじゃ何も見つからないよ。明日また来ようよ。」 タロは必死に訴えたが、おぼろは静かに言った。 「あの赤いクツは何か変だ。もしジャマ吉の死と何か関係があるなら、犯人はあのクツを取りにここへ戻って来る気がする。僕は待つよ。」 タロはおぼろを帰らせようと一生懸命説得したが、おぼろの意志は動きそうになかった。ここに来てタロは、最初からおぼろの目的はここに舞い戻って来るだろう犯人を待つことだったのだと気づいた。 「仕方ないなあ。」 タロはにやけ顔に戻って地面に座り込んだ。 「いっしょに待つよ。僕も犯人を見届ける。」 おぼろの動きが一瞬止まった。しばらく何か考えているようだったが、やがて低い声で言った。 「うん。じゃあ草むらに隠れていよう。」 ふたりは山道わきの草むらに入って行き、そこにうずくまった。 三十分ばかりたった。 すっかり暗くなった山の中でエンジン音が聞こえるとともに、強力なヘッドライトがこちらに向かってさした。 「車が来た。」 タロがつぶやいた。山の上の方から一台の乗用車がゆっくりと近づいて来るのが見える。 ふたりが胸をドキドキさせながら見守っていると、乗用車はハイヒールの落ちているあたりで停止した。おぼろたちの隠れている場所から二十メートルほどの所だ。 「止まった!」 再びタロが小さく声を出した。ほぼ同時に乗用車のドアが開き、ひとりの男が降り立つのが見えた。 おぼろも低い声を出した。 「思ったとおり暗くなったらすぐ来た。・・・暗くて顔が見えない。」 そう言うとおぼろはゆっくりと音をたてないように男の方に近づき始めた。もう完全に暗くなっていたので、草むらにいれば見つかる心配はなさそうだった。 しかし男は何かを探しているらしく車のヘッドライトで照らした山道のあちこちを歩きまわっている。タロは非常に危険な状態だと思った。今までの経験上、おぼろがその男に見つかるようなヘマはやらないということは確信できたが、どうしようもない不安を押さえることはできなかった。 そのうち男は道路わきでハイヒールを見つけた。 そして男はそれを拾い上げると乗用車の方に戻り始めた。やはり探していたのはハイヒールだったのだ。 結局男の顔は見えずじまいだった。暗いため乗用車の色さえわからない。 その時タロの目に信じられない光景が飛び込んできた。 山道のすぐそばまで近づいていたおぼろのシルエットが立ち上がり、乗用車の方に走り始めたのだ。 タロは血の気が引いた。 だがそれ以上に路上の男は狼狽したようだった。おぼろの走る音を聞いて、驚きのあまりハイヒールを地面に落としてしまったのだった。 おぼろは乗用車のところまで来ると、足もとの石をさっと拾って乗用車のボンネットに振り下ろした。大きな音がして乗用車のボディーがへこんだ。そのままおぼろは、何が起こったのか理解できずぼう然としている男の目の前からハイヒールを拾い上げ、山道を山奥に向かって走り去った。 男はしばらく恐怖のあまり動けずにいたが、今のは何だったのかと考える以前にハイヒールを奪われたのが非常にまずいことだと気づき、勇気を奮い起こして今の子どもを追いかけることにした。 男は車に乗ろうとしたが、車は山を下る方向に頭を向けて停車している。方向転換をしている間に子どもに遠くに行かれてしまうことを恐れた男は、そのまま自分の足で走って子どもを追った。 だがすでに子どもの姿は見えず、足音も聞こえない。 数十メートル走ったところで男は、子どもがどこかに隠れたのだと気づいた。山道の両側は草むらか入りくんだ茂みだ。こんな暗い状況では、ちょっと隠れただけでもなかなか見つけられそうにない。 「こら、出てこい!」 男が大声を上げた。 草むらの中でじっと動かずにいたタロはそれを聞いて、男の声質とおよその年齢を知ることができた。男の声は若かった。 「見つかるまで探すぞ!」 男がさらに叫んだ。 男の声は迫力があったが、こうなってしまえばおぼろが見つかることはまずないとタロは思った。山の中はおぼろのホームグラウンドのようなものであり、隠れることに関しておぼろが天才的であるのをタロは今まで何度も見てきていた。 そんなことを思っているとタロの後ろから小さな声がした。 「帰ろう。」 タロがぎくりとしてうずくまったまま振り返ってみると、そこにおぼろがうずくまっているではないか。タロはかなり驚いたが、同時にほっとした。 「いつのまに戻ってきたんだきみは!」 タロは嬉しそうに小声で言った。 「でも考えてみればおぼろが僕を放ってどこか行っちゃうわけないか。」 おぼろはうなずくと、山道と逆の方向を指さしてつぶやいた。 「こっちにけもの道があって山のふもとまで下りられる。山道はあいつに見つかるから通らない方がいい。」 タロはにやけた。 「おぼろは、こういう時のために毎朝山の中を走りまわって道を開拓してたのか!」 おぼろは真面目な声でそれに答えた。 「別にそういうわけじゃない。それよりも早く帰ろう。あいつの車にしるしをつけたし、クツも手に入れたし、あいつの声も覚えた。」 まだ山道の上で何か怒鳴っている男を背にして、ふたりは音をたてぬよう草むらの中をけもの道の方へ去って行った。 [つづく] |